過去から学びましょう!日本の地震災害の歴史を紹介します。

過去から学びましょう!日本の地震災害の歴史を紹介します。自然災害

日本が、地震大国であるということは、言うまでもありません。

ただ、それを知っているにも関わらず、地震が発生するたびに、多くの命が奪われ、破壊され、涙が流されます。

大きな自然の力を目の当たりにすると、私たちは、その無力さに打ちひしがれますが、それでも、その自然の力をもっと知り、少しでも過去の悲劇を繰り返さないようにと、立ち向かわなければなりません。

今回、過去の地震の中でも大きな被害があったものをピックアップし、その悲劇を再度確認し、先人たちがどう立ち向かってきたのか、知っていただきたい。

日本で発生した主な大地震

大きな地震による被害というと、私たちの記憶に新しい、東日本大震災、阪神・淡路大震災だけではありません。

私たちが知らない過去の大震災を知ることで、災害対策がどう変わってきたのか、先人たちが、どう日本を立て直してきたのかを知っていきましょう。

福井地震

福井市内の民家、ビルはほとんど倒壊。繁華街だった新町通りも全滅。

また、帰宅途中の通勤列車が福井駅を出て間もなく脱線。道路は、陥没寸断されました。

福井地震の被災状況

1948年6月28日、震源は、福井市北方の地下約10kmと推定され、そこには、地震断層そのものが潜在していました。

福井平野には、九頭竜川水系が形成した、軟弱な堆積層が存在すため、数多くの集落や市街地で圧倒的な倒壊率を記録しました。

中でも、芦原町(現あわら市)、丸岡町(現坂井市)、春江町(現坂井市)、ならびに福井市などの被害は甚大で、その他にも、全壊率が100%に達する集落が多くありました。

当時は、 終戦直後の占領下で、米軍に合わせて、サマータイムといい、生活時刻を1時間は早めていたため、地震発生した午後5時13分は、夕食の支度時間と重なり、各地で火事が起こったことで、被害が更に拡大しました。

その結果、福井市の市街地は、文字通り焦土と化してしまいました。

さらに、震災からわずか1ヵ月後の7月24日から25日には、豪雨によって九頭竜・足羽の両河川流域の水害が発生し、福井市は再び街が壊滅するという惨禍を体験することになりました。

福井地震のデータ

「地震発生時間」1948年6月28日16時13分(日本標準時)
「マグニチュード」7.1
「最大震度観測点」福井県福井市豊島
「死者」3,769人
「家屋全壊」36,184棟
「家屋半壊」11,816棟
「家屋焼失」3,851棟

震度7の誕生

福井地震では、それまでの最高である、「震度6」を上回るレベルの揺れが観測されました。

それを機に、1949年1月に「地震観測法」が改正され、新しく、「震度7」が追加されました。

制定後、この「震度7」が始めて観測されたのは、1995年の、阪神・淡路大震災です。

阪神・淡路大地震

兵庫県淡路島の一部から、神戸市、宝塚市の一部で震度7。京都府京都市、滋賀県彦根市、兵庫県豊岡市で震度5。

多くの木造家屋、コンクリート作りの建物の他、高速道路、新幹線を含む、鉄道線路などが崩壊しました。

阪神・淡路大地震の被災状況

兵庫県南部の阪神地域から淡路島にかけて延びる、六甲・淡路島断層帯の一部で地震が発生しました。

気象庁は、この地震を「平成7年兵庫県南部地震」と命名しました。

この地震では、木造の家屋だけではなく、1981年の耐震規制訂正以前の古い鉄筋コンクリートビルも被災。

高速道路や新幹線をはじめ、鉄道線路なども破壊されました。

発生時間が早朝のため、多くの人々がまだ寝ていたこともあり、崩れた家屋や、倒れた家具の下敷きによって多数の死傷者が出ました。

死亡者の8割近くが、家屋倒壊などによる圧死が原因と言われています。

更に、地震発生後、神戸市内の20カ所以上で火災が発生し、被害はさらに拡大しました。

阪神・淡路大地震のデータ

「地震発生時間」1995年1月17日5時46分
「マグニチュード」7.3
「最大震度観測点」兵庫県神戸市阪神淡路地域
「死者」6,434人
「行方不明者」3人
「家屋全壊」104,906棟
「家屋半壊」144,272棟

ボランティア元年

この震災があった1995年は、「ボランティア元年」と呼ばれています。

それは、この震災後、日本で初めて一般市民が災害ボランティアとして立ち上がったことが理由です。

それまでボランティアというと、何らかの団体に加盟している人々だけのものでしたが、学生などを中心に一般市民が多く参加しました。

また、地震発生の日である1月17日を「防災とボランティアの日」1月15日から21日の1週間を、「防災とボランティア週間」とすることが、1995年12月15日に閣議了解されています。

また、ボランティア団体に「NPO」として法人格を与えるため、1998年には特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されました。

震災の教訓

「阪神・淡路」の教訓は、全国のいたるところ、法律や制度、組織までにおよび、現在の地震防災の基準となっています。

阪神・淡路大震災で、強烈な印象が残っているのが、横倒しになった阪神高速道路の写真ですが、この震災の教訓として、阪神高速道路株式会社では、道路橋の耐震補強を急ピッチで進めました。

このような、道路橋の耐震補強は、阪神高速のみならず、その後、全国で急速に進められました。

その他、防災に関する新たな法律や基準、制度や組織も数多く生まれています。

そのひとつが、「地震防災対策特別措置法」

これは、1995年に施行された大地震について、防災対策の強化を図る法律で、地震防災緊急事業5カ年計画の実施に向けて、国の財政上の特別措置や、地震に関する調査研究促進のための体制整備が定められています。

さらに、この法律に基づき、文部科学大臣を本部長とする、地震調査研究推進本部が総理府に設置されました。

一方、耐震関係の規定として、建物の耐震改修に関する法律「耐震改修促進法」も制定されました。

これは、現行の耐震基準に適合しない既存建築物の耐震改修を促進させるために制度化された法律です。

また、震災発生当時、総理官邸に、被災情報を集約する機能が全くなかったことに対する反省から、1996年5月に、内閣情報集約センターが誕生。

大型モニターなどが設置され、自然災害などの危機管理に対応するため、24時間体制で、内外の情報を収集する設備として正式発足しました。

新潟県中越地震

地すべりなどの斜面崩壊、家屋の倒壊、道路や電力などのライフラインの被害、液状化などの被害が多発した、新潟県中越地震。

家屋や土砂の下敷きによって、被害も多く発生し、地震や避難生活のストレスと疲労により、多くの高齢者が亡くなりました。

新潟県中越地震の被害状況

新潟県の長岡市を中心とする、中越地方の深さ10kmで発生し、新潟県川口町で震度7、新潟県小千谷死、山古志村(現長岡市)、小国町(長岡市)で震度6強を記録。

さらに、同日の18時11分頃に発生した余震により、小千谷市で震度6強を、18時34分頃に発生した最大余震はマグニチュード6.5を記録し、十日町市、川口町(現長岡市)、小国町(現長岡市)で震度6強を観測、余震活動も活発でした。

この地震では、死者のうち約4分の1が家屋や土砂の下敷きによるものでした。それは、地すべり、家屋の倒壊、液状化などの被害が多かったためです。

また、崩れた土砂が川を防いで、水が溜まる「河道閉塞」が多発。溜まった水で水没する集落などもありました。

新潟県中越地震のデータ

「地震発生時間」2004年10月23日17時56分
「マグニチュード」6.8
「最大震度観測点」新潟県中越地方
「死者」68人
「家屋全壊」3175人

新潟県中越沖地震

土砂崩れや地割れ、家屋倒壊といった大きな被害が発生しただけでなく、柏崎刈羽原子力発電所で、変圧器の火災という、とてもショッキングな出来事も起きました。

日本では初めての、地震発生による原発トラブルがあったのが、この新潟県中越沖地震です。

新潟県中越沖地震の被害状況

新潟県中越沖の深さ17kmで地震発生。新潟県柏崎市、刈羽村、長岡市、長野県飯綱町で、震度6強。

新潟県上越市、小千谷市、出雲崎町で震度6弱を観測したほか、東北から近畿・中国地方にかけて震度5強から震度1を観測しました。

さらに、同日の15時37分には、マグニチュード5.8の最大余震が発生。長岡市、出雲崎町で、震度6弱を観測し、体感できる余震が1ヶ月ほど続きました。

これらの地震により、柏崎市沿岸部では、地盤が17cmほど移動するなどの変動が観測されたほか、柏崎市観音岬を中心に最大25cmの隆起と、柏崎験潮場で4cmの沈降が観測されました。

また、柏崎刈羽原子力発電所で、変圧器の火災が発生し、日本で初めての地震発生時における原発トラブルが起きました。

幸いにも、深刻な事態には陥らず、地元消防によって収束しました。

新潟県中越沖地震のデータ

「地震発生時間」2007年7月16日10時13分
「マグニチュード」6.8
「最大震度観測点」新潟県中越沖
「死者」15人
「家屋全壊」1331棟
「家屋半壊」5709棟

東日本大震災

国内観測史上最大規模の地震が東日本を襲った、東日本大震災。

宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4件34市町で、震度6強を観測。

東北地方を中心に、北海道から九州地方にわたる広い範囲で、震度6弱から震度1の揺れを観測。

日本の太平洋沿岸のほぼ全域に、津波が発生しました。

東日本大震災の被害状況

三陸沖で発生した、マグニチュード9.0の地震で、宮城県栗原市で震度7を観測、国内観測史上最大規模の地震となりました。

東北の太平洋岸地域を中心に、甚大な被害が発生。特に、津波による被害で、宮城県、岩手県、福島県などは、深刻な打撃を受けました。

気象庁はこの地震を、「平成23年東北地方太平洋沖地震」と命名、政府はこの地震による災害の名称を、「東日本大震災」としました。

この地震は、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生したもので、余震も活発に発生し、岩手県沖から茨城県沖にかけて、震源域に対応する、長さ約500km、幅約200kmの広範囲に発生しているほか、震源域に近い海溝軸の東側、福島県および、茨城県の陸域の浅い場所も含め、広い範囲で発生しています。

東日本大震災のデータ

「地震発生時間」2011年3月11日14時46分
「マグニチュード」9.0
「最大震度観測点」三陸沖
「死者」16,278人
「行方不明者」2,994人
「家屋全壊」129,198棟
「家屋半壊」254,238棟
「家屋一部破損」715,192棟

社会への影響

この地震が、社会に与えた影響も大きく、震災による倒産が激増しました。

帝国データバンクの調査によれば、東日本大震災による直接、間接の影響を受けた倒産は、震災からちょうど1年間で、656件にも上るといいます。

これは、阪神・淡路大震災の発生から1年間の倒産数197件の3倍以上の数字です。

この倒産企業の従業員数は、合計で1万人を超えました。

また、農業用ダムの決壊で、集落が飲み込まれたという、とても残念な事態も起こりました。

この地震では、沿岸地域が津波によって甚大な被害を受けましたが、実は、内陸部でも「水」が猛威を奮っており、福島県須賀川市長沼地区にある農業用ダム「藤沼湖」が決壊しました。

藤沼湖は、堤高18.5m、堤頂長133.2mの土を重ねて作られたアースダムです。

ところが、地震直後にダムは決壊し、流出した大量の水が下流にある滝、北町両集落を襲い、死者7名、行方不明者1名という惨事を引き起こしました。

この地震では、東北地方だけでなく、首都圏にも激震が走りました。

東京23区において、ほぼ全ての区で震度5弱以上を記録、葛飾区内で、送電線の鉄塔が倒壊するなどの被害が発生しました。

都心では、鉄道各社は一斉に運行をストップし、東京メトロと都営地下鉄は、比較的早期に運転を再開しましたが、JRなどの復旧が遅れたため、首都圏にいわゆる「帰宅難民」が溢れました。

「首都直下地震帰宅困難者等対策協議会」が行った実態調査によると、首都圏で約515万人の帰宅困難者が発生したと推計され、都内では首都圏全体の約70%にあたる352万人の帰宅困難者が発生したと推計されています。

つり天井の見直し

この地震の発生時に、建物のつり天井の崩落被害が、東北や関東地方を中心に約2000施設にも及んでいました。

柱や壁が無事な施設も多く、改めてつり天井の弱さが浮き彫りになったと言えます。

特に、東京都千代田区の九段会館では、専門学校の卒業式が行われており、女性2人が死亡、26人が重軽傷者を負いました。

これらは、地震発生時の激しい揺れで接合金具が外れたことなどが主な原因ですが、事態を重く見た国土交通省は、「一般社団法人建築性能基準推進協会」に被害状況の調査・分析と落下防止策の検討を依頼。

検討委員会が設けられ、天井の高さ6m以上、面積200㎡以上の大型施設は落下防止策が必要だと指摘した上で、天井と壁に隙間を設けて、天井を吊るボルト同士を、「振れ止め」で補強するなどの新たな指針のための具体策が提言されました。

まとめ

私たちの記憶に新しい、東日本大震災からもうすでに7年経過しました。

時間が経てばどうしても風化してしまう、当時の惨事ですが、私たちは、忘れてはいけません。

まだまだ語り尽くせない、過去の歴史ですが、これからさらなる復興に向けて前に進むためにも、度々、過去の被害を振り返ることはとても大切なことです。

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自然災害調査士®
「自然災害調査士®」という資格を新設し、自然災害の被害を調査・鑑定するプロを育成しています。

昨今、頻繁に起こる自然災害による被害にまつわる問題を、専門的知識を持って適切な調査をする業務に従事する者(民間で活躍する自然災害家屋コンサルタント)としての位置づけを目的としております。 不動産会社、建築会社や工務店に勤務している方が多く取得しており、ご自身の業務に調査士の知識を役立てています。
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